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駒形(こまがた)は、東京都台東区の町名。

東京都台東区の東部に位置し、墨田区(東駒形)との区境にあたる。区分は一丁目から二丁目に至り、通り沿いを中心に商店とオフィスビルが多く見られるほか、住宅地もある地域となっている。付近には隅田川とそれに架かる駒形橋と厩橋がある。
歴史

地名の由来
駒形(こまかた)の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来する。この堂は天慶5年(942年)、円仁作の馬頭観音を祀るために建てられたのが起りであると伝わるが、古くは浅草寺の総門があった場所であるともいわれる(ただし駒形堂は関東大震災の後に場所を現在地に移動している)。なお土地の人々によれば、駒形の読み方はコマカタと清く発音してコマガタとは濁らないという。ここは古来交通の要地で、駒形の渡しのあったところである。江戸の巷説に有名な、「君はいま 駒形あたり ほととぎす」の句は、文芸・美術などの上で駒形堂とともに、この辺りの雰囲気を伝えている。
町域の変遷
駒形堂は関東大震災以前は現在の駒形橋のたもと南側にあり、江戸時代その周辺を駒形町と称したが、この駒形町の町域は現駒形二丁目六~七番地と駒形一丁目七番地の一部、すなわち現駒形のおよそ四分の一に当たる範囲だった。明治以降、駒形町近隣の諏訪町や黒船町などを合併、またその中で近隣の寿町に一旦は編入された地域も組み込むなどして町域を広げ、昭和9年(1934年)に駒形一~二丁目となった。昭和39年(1964年)住居表示制度の実施により、町内で丁目の振り分けについて再編成が行われ、現在に至っている。
その他
・将軍徳川綱吉が寛永寺参拝の折、浅草黒船町(現駒形一丁目)の豪商石川六兵衛の妻おかちの贅沢な生活ぶりを目にし、分不相応な驕奢の振舞いであると咎め家財を没収したという話がある。これを「伊達くらべ」などの題で多岐川恭、北原亞以子、杉本苑子などが小説にしている。
・江戸時代、現在の駒形一丁目の江戸通り西側に、清水稲荷屋敷と呼ばれる屋敷があった。稲荷屋敷というのは敷地内に稲荷社を祀っていたことによる。この屋敷の住人田中松春(松泉とも)の先祖田中四郎兵衛は、もとは上野山西の清水町に天海より屋敷を拝領して住んでいたが、元禄2年(1689年)にそこを召し上げられたので谷中に屋敷を拝領したがこれも召し上げとなり、宝永7年(1710年)に田中松春が当所を拝領し、清水町の頃から屋敷内でまつっていた稲荷社とともに引き移った。この稲荷社は清水稲荷と呼ばれて『江戸名所図会』にも取り上げられているが、現在は蔵前にある第六天榊神社の境内にまつられている。
・旧諏訪町の地域には諏訪神社がある。この神社の来歴は火災による文書の消失などで不明であるが、明治以前は浅草寺領だったという。

Wikipediaから引用(最終更新 2012年1月18日 (水) 22:21)