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浅草線(あさくさせん)は、東京都大田区の西馬込駅から墨田区の押上駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(都営地下鉄)である。『鉄道要覧』には1号線浅草線と記載されている。開業当初は「都営1号線」と称した。
営業区間全線にわたって地下を走行するが、車両基地(馬込車両検修場)への引込線は高架線を走行する。路線名の由来は下町のイメージが色濃く残り、かつ国際的観光地でもある浅草から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ローズ」、路線記号はA。ただし、線内では朱色・茜色等も用いられる。

概要

東京都区部を南部から中央部・墨東地域にかけて走る。泉岳寺駅で京急本線と、押上駅で京成押上線と接続し、それぞれ相互直通運転を行っている。

路線はおおむねJR山手線・JR京浜東北線・地下鉄銀座線・JR総武快速線といった既設の旅客流入路線のバイパスとなる線形をとり、直通による頻発運転を行っていることもあり、朝ラッシュ時の最混雑率は121%(平成17年度)と東京の地下鉄では低いレベルにある。馬込車両検修場を除き全線が地下線となっている。 収支状況は平成18年度決算で純損益約67億円の黒字である。
直通先の京急線・京成線がそれぞれ東京国際空港(羽田空港)、成田国際空港(成田空港)へのアクセスを担っているため、浅草線自体も空港アクセス路線としての役割を有し、羽田空港国内線ターミナル駅と成田空港駅を結ぶ列車も設定されている。また、2010年7月17日に開業した北総線経由のアクセスルートである成田スカイアクセス(成田空港線)との直通運転も行っており、都心部から成田空港へのアクセス路線としての役割は強さを増している。

沿革

戦前より地下鉄への参入を希望してきた東京都にとって、浅草線は初の地下鉄路線である。1958年8月に都の参入が認められ、ともに都心にターミナルのない京成電鉄(押上)および京浜急行電鉄(品川)との相互乗り入れを前提に建設された。当時は京成と京急で軌間が異なっていたが、京急の1435mm軌間に3者が統一することとなった。路線建設は京成側から進められ、1960年に押上 – 浅草橋間が開業、順次路線が延長された。当時同じく建設中であった帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)の日比谷線と競い合うように工事が進められたが、浅草線は軟弱地盤に悩まされて工事が遅れ、1964年の東京オリンピックまでに全線開通が間に合わなかった。このため、東京五輪開催期間中は建設工事が休止させられた。
1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、東京1号線は、「品川及び西馬込の各方面より田町、新橋、浅草橋及び浅草の各方面を経て押上方面に至る路線」として示されている。その後答申第15号では、押上 – 青砥 – 高砂 – 大町附近 – 鎌ヶ谷市北部 – 千葉ニュータウン小室地区への延伸計画が示され、青砥 – 高砂間は京成線の複々線化を行うものとされた。このうち西馬込 – 押上が都営浅草線、品川 – 泉岳寺が京急線、青砥 – 高砂が京成線の線増分、高砂以東が北総開発鉄道(現:北総鉄道)北総線として開業している。
なお当初計画では浅草駅は存在せず、浅草橋から駒形を経由して押上に向かう予定であった。しかし利便性を考慮して蔵前・浅草・本所吾妻橋の各駅が設置され、蔵前が駒形の代替となった。駒形の駅用地は駒形変電所として活用されている。
開業当初、他に都の経営する地下鉄は存在しておらず、単に都営地下鉄線と呼ばれていたが、その後現三田線が開業すると、1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号の路線名称を借用し都営1号線、都営6号線と称した。その後、新宿線の開業を年末に控え、正式名称を公募することになり、1978年(昭和53年)7月1日 より1号線は浅草線、6号線は三田線、10号線は新宿線の名称が与えられた。

Wikipediaから引用(最終更新 2012年2月3日 (金) 03:41)