日本橋」に関連する記事一覧

日本橋(にほんばし)は東京都中央区の地名。橋梁としての日本橋周辺一帯の地域とその町名。日本銀行本店や東京証券取引所が立地する、日本を代表する金融街で、高島屋や三越といった老舗の商業施設も多く立地する。

歴史
近代以前
現在の日本橋を中心とした地域は、古くは武蔵国豊嶋郡に相当し、その中の江戸郷前嶋村と呼ばれる地域だったという。江戸は鎌倉時代の江戸氏の支配から大田道灌、さらに後北条氏を経て徳川家康が幕府を開くが、早くに町地として開発されたのがこの日本橋周辺の地域であった。さらに上でも触れたように日本橋が架けられ交通の要所として定められてからは、現三越の前身である越後屋をはじめとする大店が集まり、また付近には金座や銀座が置かれるなど、江戸を代表する場所として殷賑を極めた。
近代以降
明治元年(1868年)、江戸府内は東京府となったが、日本橋の辺りは維新の混乱により一時寂れた。しかしガス灯や鉄道馬車が敷設されるなどほどなく息を吹き返し、江戸の昔に変わらぬ繁栄を見せるようになった。明治11年(1878年)、この年施行された郡区町村編制法により、日本橋を中心とした周辺の地域は日本橋区となり、明治22年(1889年)には東京市に属した。明治29年(1896年)には本両替町にあった金座の跡に日本銀行が建てられた。また大店の越後屋や白木屋が百貨店として生まれ変わり、明治41年(1908年)には越後屋こと三越が洋館の店舗を落成させるなど次第に洋風建築も増え、近代的な町並みへと変わっていった。

関東大震災の復興計画/震災復興再開発事業により、日本橋区内の全域で土地区画整理事業が実施された。これに伴い昭和3年(1928年)12月以降、大規模な町名地番整理も行われた。
大正12年(1923年)、関東大震災により日本橋区は甚大な被害を受ける。しかしその後定められた土地区画整理事業によって河川や道路の改修、拡幅が行われ、昭和通りや浜町公園ができ、古くから日本橋のたもとにあった魚河岸も築地へと移転した。

だが第二次大戦において、日本橋区は昭和20年(1945年)の空襲によりふたたび区内の大半を消失する被害を蒙る。終戦後、東京都の主導により日本橋区は南に接する京橋区(現在の中央区のおよそ南半分)と合併することになった。日本橋区会(現在の区議会に相当)では他区との合併に難色を示す議員が多く、統合後も日本橋の名前だけは残したいとの意向から、京橋区との合併決議に町名に日本橋を冠することとする項目が盛り込まれ、中央区発足時に旧・日本橋区内のすべての町名に日本橋が冠称された。現在中央区のおよそ北半分の地区に見られる数多くの「日本橋○○町」という町名は、中央区発足時の町名変更の名残りである。
その後、戦災復興期の区画整理により日本橋呉服橋は八重洲一丁目に、昭和45年(1970年)以降の住居表示実施に伴う町名の統合により、日本橋芳町や日本橋北堀町などが隣接する既存の町名に変更され、日本橋を冠する町名の一部は消滅した。また、日本橋や東日本橋(旧・日本橋両国など)といった新しい町名が住居表示実施に伴い誕生した。昭和48年(1973年)、住居表示の実施により、日本橋通(一〜三丁目)と日本橋江戸橋(一〜三丁目)の2町を合併し現在の日本橋となった。

Wikipediaから引用(最終更新 2011年11月29日 (火) 04:26)