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イタリア共和国(イタリアきょうわこく、イタリア語: Repubblica Italiana)、通称イタリアは、南ヨーロッパに位置する共和制国家。
イタリア半島およびその付け根に当たる部分と、地中海に浮かぶ2つの大きな島(サルデーニャ島、シチリア島)からなる。国土北部のアルプス山脈において、フランス、スイス、オーストリア、スロベニアと国境を接し、南西のシチリア島の対岸にチュニジアが、南には旧植民地のリビアが存在する。またサンマリノ、バチカンの領土を取り囲んでいる。首都はローマ。

国名

正式名称は、Repubblica Italiana (イタリア語: レプッブリカ・イタリアーナ)。通称は、Italia。
公式の英語表記は、Italian Republic(イタリャン・リパブリク)。通称は、Italy(イタリ)。
日本語の表記は、イタリア共和国。通称はイタリアであるが、イタリヤと表記されることもある。古くはイタリーと表記された。また漢字による当て字で、伊太利亜、伊太利などと表記することもあり、伊と略されることが比較的多い。
イタリアという名の由来に定説はない。確かなことは、イタリアという単語は元々、半島の南端部の狭い地域の名だったということである。由来についての有力な説は、古ラテン語の vitulus (ウィトゥルス、雄の子牛)から転じたものである。

歴史

ギリシア時代より都市国家が成立。なお、伝説では紀元前753年にローマ建国 エトルリア人も12の都市国家による都市連合の王政を築いていた。
伝承に、紀元前509年にローマ人パトリキ(貴族)がエトルリア人の王を追放し共和制開始。サムニウム戦争(紀元前343年 – 紀元前290年)などにより紀元前272年にイタリア半島を制圧。
フェニキア人の植民国家カルタゴとの戦争(ポエニ戦争)(紀元前264年 – 紀元前146年)によりシチリア島を獲得。地中海の覇権を握る。
その後もイタリアはローマ帝国の中心地域として栄えたが、395年に東西ローマ帝国が分裂し、イタリアが所属する西ローマ帝国は476年に滅びる。西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルはイタリア王となり、これが国号としてのイタリアの走りとなった。
ローマ帝国分裂以降
493年にはオドアケルが滅ぼされ東ゴート王国が成立、さらに553年には東ローマ帝国が全土を掌握し、イタリアは80年ぶりにローマ帝国領として奪還された。しかし、帝国にとってもはやイタリアは1属州に過ぎず、さらにランゴバルド人の侵入により、ローマのイタリアに対する支配力は大きく低下した。なお、イタリアに常駐した最後のローマ皇帝は7世紀のコンスタンス2世である。彼は南イタリアとアフリカを中心に帝国を再編成しようと意図したが、失敗に終わった。8世紀には、東ローマ帝国の勢力はイタリア半島の南端部にまで後退した。
その後は南端部の東ローマ帝国、シチリア島のイスラム教徒、ローマを中心としたローマ教皇領、北部には神聖ローマ皇帝といった勢力が割拠した。この他多数の都市国家が発展、11世紀になると東ローマに代わりノルマン人が侵入した。これらの中にはイタリアの統一を試みる者もいたが、ローマ教皇庁の思惑もあって分裂状態が続く。
18世紀末にイタリアに侵攻したフランスのナポレオン・ボナパルトは全イタリアを手中に納めたが、1815年に、ナポレオンが失脚するとヴェネツィアとジェノヴァの共和国を除きほぼ元の分裂状態に戻った。
イタリア王国
1861年2月に、ジュゼッペ・ガリバルディらの協力を受けたサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が統一に成功し、1861年3月17日にイタリア王国を樹立した。
1922年には、ファシスト党のベニート・ムッソリーニが首相となる。その後ムッソリーニは権力の集中を進め、1929年にはローマ教皇庁との間にラテラノ条約を結び、関係を修復する。
ムッソリーニ首相とヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王の指導の下、1936年には日本とドイツと相次いで同盟関係を結び、1939年9月に勃発した第二次世界大戦には、1940年6月に枢軸国の一員として参戦するものの、1943年には敗色が濃い中ムッソリーニが失脚し連合国側に鞍替え参戦する。しかし同時に、逃亡したムッソリーニを首班としたナチスドイツの傀儡政権であるサロ政権が北イタリアを支配する状況になる。しかし、1945年5月8日にナチスドイツが敗北したことにより同政権は崩壊した。
イタリア共和国
大戦終結後の1946年6月2日に行なわれた共和制への移行を問う国民投票では、共産党などの左派の影響を受け、僅差で共和制移行が決定し、ウンベルト2世は廃位され、サヴォイア家による君主制は廃止され、現在のイタリア共和国が成立した。
1948年に、初代大統領にエンリコ・デ・ニコラが就任。その後の冷戦では、社会主義勢力の影響を受けながらも、アメリカ合衆国や西ドイツなどとともに西側諸国の1国として東側諸国と対峙した。主要国首脳会議の参加国であり、現在も政治や経済だけでなく、文化的な側面においても世界的に重要な位置を占める。

Wikipediaより引用(最終更新 2012年1月9日 (月) 09:30)