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うどんは、小麦粉を練ったものを細長く切り、茹でて食べる料理。饂飩と表記する場合もある。

手軽な庶民食、米食の代用食として、また、祝い事に際して振る舞われる「ハレ」の食物として、古くから日本全国で食べられてきた。地域によって、調理法や具材が違っている。
麺を大きな鍋で茹で上げる場合には、鍋の周囲に引っ掛けた状態で茹でることができるよう、金属製あるいは竹製で深いザル状になっているうどんてぼ(うどん揚げ)が用いられることも多い。うどんを供する場合には皿(うどん鉢など)やざる(ざるうどん等)、鍋(うどんすき等)のほか、桶(うどん桶と呼ばれる)も用いられる。
専門のうどん屋があるほか外食チェーンなどのメニューともなっている。また、麺はスーパーマーケットなどで乾麺または茹で麺の状態で販売される。また、カップ麺としても販売されている。

文化

歴史的には、うどんよりも蕎麦(蕎麦切り)の方が発祥が新しい。蕎麦の元祖は信州そばであり、これが信州から甲州街道や中山道を通して伝えられたものといわれている。また、江戸時代に京都など全国に伝わったと言われている。大坂では天正12年(1584年)に蕎麦屋「砂場」が開業し、西日本でも早い時期から蕎麦が食べられていた。現在、日本の大都市のうどんの専門店は従来の店とチェーン店がある。また日本全国には、うどんとそばの両方を供する「うどん屋」、「そば屋」と称する店が多いが、うどんを主としている店では「うどん屋」、そばを主としている店では「そば屋」と呼ぶことが多い。
江戸時代の江戸の市中において、うどんは一般に普及していた。特に江戸前期にはまだ麺類としてのそば(そば切り)が一般に普及しておらず、 そばがきとして食べられていたこと(記録としては蕎麦がきの様なものが麺状に切られたのが天正2年(1574年)初めの建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認できる)から、麺類としてはうどんに人気があったようである。しかし、後に麺類としてのそばが普及したこと、そばとそば屋が独自の文化を育む母体となっていったこと、脚気防止のためにそばが好まれたことなどの理由により、うどんは江戸における麺類の主流としての地位をそばに取って代わられた。
現在の関東地方は、武蔵野(武蔵野台地)を中心として、「武蔵野うどん」をはじめとするうどん専門店も多い。実際、2004年(平成16年)度のうどんの生産量でも1位は日本全国に向けて宣伝をしている讃岐うどんの香川県だが、2位は埼玉県であり、群馬県もベスト5に入っている。これらの地域では二毛作による小麦栽培が盛んで、うどんは日常的な食事だったのである。うどんは、かけうどんや付け麺(もりうどん)にして食べられる事が多い。
大阪、京都を初めとする近畿圏内では、老若問わずうどんが麺類の主役となっている。近畿地方から採れる地下水は主に軟水で昆布との相性が良かったため、関西、とりわけ大阪では麺よりだしに重きを置き(後述)、うどん玉はだしを吸いやすいしなやかで柔らかい麺が好まれるようになった。伝統的な大阪のうどんには腰がないといわれる(とりわけ、讃岐うどんと比較して)のは、このような文化的な背景があるためである。
20世紀後半から21世紀初頭にかけて4回の讃岐うどんブームがあり。また、讃岐うどんを供するチェーン店が2002年(平成14年)頃より日本各地にオープンしている。香川ではうどんの専門店が多く、そばとうどん両方を供している店は少ない。 現在でも大阪では「うどん屋」が多い。これは近世以前より近辺には播磨や河内など良質の小麦産地が多く、美味しいうどんを作るのに最適な条件だったことによる。京都では「うどん屋」も多い一方で、近隣の丹波地方でそば作りが盛んだったため蕎麦食文化も根付いており、専門の「そば屋」も多い(ニシンそばは京都の名物でもある)。出石そばをはじめとする丹波の蕎麦食文化は、江戸時代に信州から導入されたものだという。江戸時代には既に西と東の物資の交流は盛んで、「富士見酒」などは、その代表である。
「そば=東日本、うどん=西日本」と言う人がいるが、これらを見れば正しくない。

Wikipediaから引用(最終更新 2012年3月5日 (月) 09:48)